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【百万石の憂鬱】
加賀藩前田家は、
外様雄藩としてのプライドと自主規制のせめぎ合いは城造りにもよく表れている気がします。
金沢城天守は17世紀初めに、そして代用の御三階櫓は18世紀中頃にそれぞれ焼失。
その後再建されなかったのは幕府の警戒心を忖度したためだと指摘する向きがあります。
とはいえ、そこは百万石の大城郭。白を基調にした美しい意匠とは裏腹に、実質的な防衛ラインである門や櫓が放つ威圧感は尋常じゃありません。
中でも現存する石川門は搦手とは思えない重厚さ。また草木が生え放題の本丸南側、粗割石の高石垣は金沢の街並みとはどこか相容れない戦国臭さがあります河北門櫓門から二の丸菱櫓を望む
河北門櫓門から二の丸菱櫓を望む
二の丸、復元された五十間長屋(二重の多聞櫓)。右手は菱櫓、左手は橋爪門続櫓
石川門・枡形内(土塀4棟を含む計8棟の建築群)
石川門櫓門と唐破風出窓
五十間長屋。菱櫓側から
橋爪門枡形。右手は二の門櫓門
橋爪門続櫓と唐破風出窓
金沢城復元模型